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私とピアノ

2019/3/19
(記:門叶)
毎度勝手なタイトルですみません、これもSEO対策なのでよろしくお願いします。

タイトルは、私とピアノ。とてもプライベートなタイトルですね。他人がどんなピアノ人生を送っているか気になる方はどうぞお読みください。

私がピアノを初めて触ったのは2歳のころ。色おんぷという音楽手法の先生についたのがきっかけでした。もちろん自分の意思ではなく、親の意思で。
色おんぷがどのようなものかといいますと、こちらもご存知の方が多いと思いますが、「ド」が赤色、「レ」が黄色、「ミ」が緑色、「ファ」がオレンジ色、「ソ」が青色、「ラ」が紫色、「シ」が白色の7色で音階を弾く手法のことであります。

だから私の中では今でもドは赤色でソが青色。不思議です。

ちゃんと譜面でピアノを習うようになったのは、小学校1年生のころだったと思います。その時の先生(女性です)が、アプライトピアノの前で私と私の母親に入塾の説明をしている時、振り向きざまに中央の「ド」を弾いたのです。

この時の感動は今でも忘れません。「この人はすごい。」「かっこいい。」「ピアノが弾けるようになりたい!」この時からきちんとピアノに向き合うようになったのだと思います。

後述しますが、こちらの先生には大学を出て社会人になってからもお世話になった先生でした。15年以上ですね。

小学校のピアノの思い出は、とにかく、ピアノを習っているにもかかわらず、伴奏などを一切やる機会がなかった、正確には立候補をしなかったし、もっと上手に弾く女の子が他に多かったからです。でもいまでも彼女たちがピアノを弾いているかどうかはわかりません。早く咲いてしまうというのは短命なのでしょうか。伴奏をすることがすべてではありませんが。
あと小学校では音楽の先生がショパンの子犬のワルツや幻想即興曲を軽々と弾いていたのが印象的でした。

「自分もあんな風に弾けるようになりたい。」また目標ができました。

小学校の時はアコーディオンも音楽会でやっていました。バスなので目立ちませんでしたが。右手だけ。

中学からは曲もやりながら、やはりバッハのインベンション。辛かった!でも今の自分があるのはこの時一生懸命バッハのインベンションをやったからだと思います。右手と左手が同じくらい動く。「面倒だな」と毎回いやいややっていましたが、本当にやっていてよかった。ありがとう先生。

多くの人が中学校受験や高校受験でピアノを辞めてしまうのですが、いつも「本当にもったいない」と思っています。私は中学受験も高校受験もしませんでしたが、やはり音楽を友達に持っているというのは強いと思います。

困ったとき、考え事を持った時、音楽にすべてを預けられるのですから。

高校時代も同じような向き合い方です。高校の音楽の授業で楽器で好きな曲を一人一曲演奏しなさいという課題があり、私は全員の前でモーツアルトのトルコ行進曲を弾いた記憶があります。散々な出来であったことも。

大学に進学し、ここで私に転機が訪れます。
「ピアノサークル」に出会ったのです。「ピアノのサークル???」「ピアノって一人で楽しむものなんじゃないの?」はてなマークがたくさんでした。

でも入ってみるとこれが面白い。自分と似た境遇の人とピアノトークができる。これはものすごい刺激でした。自分よりこんなにうまい人がいるというのは励みであり、憧れになり、いつか超えてみたいと思えるようになりました。

こんな弾き方もOK、やっぱりこの曲はみんな好きなんだ、等自分ひとりで取り組んできた私のピアノ人生はここで転機を迎えます。ピアノに対する大きな可能性もここで感じました。

一方で体育会の体操部にも所属していたので、突き指や手の甲の骨折など、アクシデントはありました。でも片手だけ練習など自分なりの工夫はしてきました。この話はおいておいて、

大学時代は色々な曲にトライしました。リストのラ・カンパネラ、愛の夢3番、ハンガリー狂詩曲2番、ショパンはほとんどすべての曲に挑戦しました(最後までは見ていない)。エオリアンハープは卒業演奏会で弾きました。

就職してからは、一人暮らしで練習できない日も多かったですが、ショパンのバラード1番は先生にお願いして練習させて頂いたり、ショパンのピアノコンチェルト1番やバッハの平均律は自主的に練習していました。

そんな日が続いて今に至ります。

ピアノが好きな方、田園調布ピアノクラブは喜んで歓迎します!